PROFILE
原田英彦。1960年5月19日生れ。平安高では外野手。1979年に日本新薬に入社し社会人野球13年間で10度都市対抗に出場。平成5年平安野球部監督に就任。平成9年春に川口投手を擁し監督として初の甲子園出場。同年夏の大会で準優勝に輝く。その後もコンスタントに甲子園出場を果たし、平成15年春の時点で春4回、夏2回に出場。通算成績は13勝6敗。

−まず春季大会の感想から聞かせてください。僕はそれほど勝負に固執されていないなと感じたんですが。

そうですね。夏までの過程の一大会と捉えていますので,選抜から帰ってきて足らないものを模索しながら,色々と新しいものを試していこうといった感じです。
投手でいうと服部という軸が選抜で出来ましたので,長丁場の夏を乗り切るためにそれ以外の投手を一人二人と育てなければならない。
攻撃では今まではなかなか脚が使えないチームでしたので,柳沢,西郷という新しいメンバーを加えまして,プラスアルファーの部分を引き出したいと。そういう目標を持って春の大会に挑みました。

−目標の達成度はいかがでしたか?

投手陣は井上が使えるめどが立った。左の日笠も僕は十分に使えると思っています。あと芝村という左もいるんですが彼は選抜前に指を切ってしまいましてメンバーから外しました。彼がまだ未知数ですが,投手陣は夏へ向けて楽しみな材料ができました。
野手は柳沢と西郷がとんでもないことをしてくれましたから。

−三盗失敗のことですか?

あれは全部ノーサインです。もう,野球を知らないというか状況判断が全くできていない。バッターが4番でどうして三塁へ走らないといけないのか。お前らの脚ならヒット1本で返ってこられるだろうと。そういったことをもうあまり時間がないですが,これから教え込んでいかないといけないですね。

−中軸はどうだったんでしょう?僕は新しいものに取り組んでいる最中なのかなと思ったんですが。

そうです。その通りです。西村,西野にはもうひとつ上のレベルを求めましたので色々とああでもないこうでもないと探りながらやっていました。ちょうどその最中でしたので彼らは苦しかったと思います。でもどういう状況であっても勝負所では打たなあかんよと。お前らはそれを跳ね返すだけの精神力は持っているだろうと彼らには話しました。
まあ西村は最後には意地を見せましたが,西野に関しては全くだめでした。やはり選抜から帰ってきて気の緩みがありましたね。やはり高校生にとって甲子園というのは凄い影響力があるんですね。ファンレターも来るし,雑誌にも載る,周りには騒がれるということで浮ついた気持ちになってしまう。そういった所が白滝,西野に特に見られた。二次戦初戦の洛星戦でもそういうところがありましたので,白滝には太陽ケ丘から学校まで走って帰れと言いました。西野も僕は言ってないですけれど,自分でそれを感じて走って帰ってきたみたいです。