PROFILE
安達青児。1984年7月26日生。小学校2年生で野球を始める。南陵中学から福知山成美に進み1年生時からベンチ入り。2年秋、秋季京都大会で準優勝し近畿大会に出場。3年夏の京都大会では準々決勝で平安を完封。準決勝で東山に敗れた。平成15年春、大阪体育大学体育学部に進学。

和歌山にほど近い大阪府泉南郡熊取町に大体大浪商高校がある。
22時少し前、外灯もなく真っ暗な闇に包まれた校門前に彼は立っていた。
「ご無沙汰しています」と彼は頭を下げ車に乗り込む。
あの夏から1年が経った。また今年も夏がやってくる。僕は新しい夏を迎える前に、彼に会ってみたいと思った。

「この前、新人戦で大学に入ってはじめて試合に投げました。一応完投勝利でした。大学生活は最初は大変だったけれど、最近やっと慣れてきました。でも慣れすぎて、この頃は少し遊びすぎちゃってます」
頭をかきながらいたずらっぽく笑う。少し伸びた髪が彼を大人っぽく見せた。

大阪体育大学の野球部に寮はなく現在は一人暮らし。食事は自炊だという。

「でも練習で遅くなったりしたらもう作る気がしなくて、適当に外で食べて済ませてます。それに月に2回ほど親が福知山から出てくるんですよ。夜はみんなでご飯を食べて、泊まって次の朝に帰っていきます」

福知山成美野球部に寮はあるが、安達は高校へは実家から通った。大学に進むにあたり、はじめて親元を離れた。次男坊である安達のことを両親が心配に思わないわけがない。月に2回、福知山から100キロの道のりをかけてやってくる両親の姿を想像して微笑んでいると、安達の携帯電話が鳴った。二言三言の短い会話を終えて電話を切ってから、「お母さんです」と安達は照れた。

僕が彼をはじめて見たのは、高校の2年の秋。平成13年京都秋季大会準決勝の鳥羽戦だった。


試合は5回を終わって2対2の同点。両校とも走者をよく出すが決定打が出ない。成美・増南、鳥羽・古田の両投手が踏ん張っている。
福知山成美の投手が6回から安達投手に代わった。1年生のサウスポー。上背はないが大きなフォームからキレのいいカーブを投げる投手だ。
これに勝てば近畿大会。相手は鳥羽。2対2の同点。いろいろな重圧が安達投手に重くのしかかる。安達投手はその重圧を払いのけようと懸命に腕を振るがボールは思うところに行ってくれない。
結局、安達投手は重圧を払いのけることは出来なかった。ボールが先行する。ストライクを取りにいったところを狙い打たれる。安打を許した後、呆然とし、カバーを忘れいらない点も与えた。(野球観戦日記から)



「増南さん(現大阪ガス)が上にいたし、まだもう1年あるという甘えもありました。そもそも自分がどうしてベンチに入れて試合に投げられるのかなと思ってました。僕たちの代は福知山商業で甲子園に行った次の年に入学しましたが、大原(現ヤクルト)、横山(現近鉄)、山本という凄いメンバーがいて、その3人ともが投手でした。だから僕はレギュラーになれるなんて思っていなかったし、甲子園に出場した野球部に入れたというだけで満足してました。
それが1年生の頃からベンチに入れさせてもらって、みんな投手から野手になっていくのに、なぜか僕だけが投手を続けられて試合にも投げさせてもらえる。それはなぜだろうってずっと不思議に思っていました」