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−卯滝先生は北桑田の出身なんですね。
そうです。投手をしてて2年生の頃から大会でも投げてましたけれど、チームは弱かったです。
−記録を見ましたら2年生の夏が山城に5対10、3年生の夏が城南に0対10といずれも初戦で負けています。
山城戦は初回に6点取られて、城南戦でも初回に4点取られました。そんな弱いチームでしたけれど、なぜか自分に変な自信がありましてね。それで中京大学に進みました。当時の中京大学といえば、中京高校(現中京大中京)や三重高校などから選手が来てまして、甲子園に出た選手などももちろんいるわけです。田舎から出てきてそういう環境に身を置いて、色々なことで驚きましたね。
−どんなことに驚かれました?
例えばバンドシフトひとつにしてみても実に数多くの種類があるわけです。僕が知っているバンドシフトといえば、ファーストとサードがただ前に出るだけ。それが中京や三重から来た者は、同じ年だというのにそういうことをよく知っているわけです。それを教えてもらったり本で調べたりしました。野球は奥が深いなと思いましたね。
−それはやはり将来指導者になろうという気持ちからですか?
まだ18、19の時ですからそういう気持ちではなく、ただ純粋に野球をもっと知りたいという気持ちからです。
−大学を出てから、まずは小学校の先生をされていたのですね。
産休の講師などをしていました。そして昭和52年に北嵯峨高校で監督をしないかという話をもらって赴任したわけです。北嵯峨ができてまだ3年目の時です。
−北嵯峨の監督になられてはじめての試合が春季大会の西京商(現西京)戦ですが、凄い試合だったようですね。
0対25の5回コールドで負けました。戦績を見てもらえば分かりますとおり、私も勝つことは少なくて負けてばかりでしたが、それでもいくら差があっても10点差ぐらいのものでしょう。西京商は後攻でしたから、4イニングスしか攻撃してないんです。それで25点取られた。アウトを取るということがいかに難しいことかとベンチに座っていて思いましたね。
−この西京商戦からスタートされたわけですが、驚いたのが夏の大会では3回戦まで進んでいます。3ヶ月という短期間にどんな指導をされたのでしょうか?
2年前に新しくできた学校ですから、この時の3年生というのは1年生から試合に出ていたわけです。それまでは年が上の者と試合をしていたのが、やっと同じ年の者と試合ができるということで選手たちもある程度は自信を持っていたと思うんです。それが0対25でしょう。この試合で選手たちが危機感を持ったのでしょうね。守備練習などはそこそこ気合を入れて頑張ってました。 それで夏は2つ勝てたんですが、朱雀にコールドで負けた。結局は負ける時はコールドなんです。だから僕は力がついたとは思いませんでしたね。 それで、まずは京都のどこの学校とやってもコールド負けしないようなチームを作ろうという目標を持ちましたね。
−ということは守りの野球をやっていこうということですか?
打てるにこしたことはないですけれど、その攻撃力もないですからね。いかに守って終盤まで粘って、相手がミスをしてくれるのを待つか、そういう野球をするよりほかに方法が見当たらなかったです。
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