雨が降り始めた。
 その日、京都市右京区にある西京極球場では、第80回全国高等学校野球選手権京都大会の準々決勝が行われていたが、第3試合の中盤に入った辺りから、いかにも雨を含んでいそうな暗い雲が上空を覆い始めた。
 森田亘彦は早朝から西京極球場のスタンドに駆けつけていた。高校球児の写真を撮影するためだ。森田は厚く立ち込める雲を恨めしそうに見つめた。
 雨が降れば当然空は暗くなる。暗くなれば速いシャッタースピードを切ることが出来ない。一般的にスポーツのような速い動きの被写体を撮影するためには、500分の1秒以上のシャッタースピードが必要だ。だが光がなければそれだけのシャッタースピードを出すことは出来ず,写真はぶれてしまう。
(なんとか持ってくれよ)
 森田は空を眺めながらそう願ったが、その願いは天には通じず、第3試合の終盤に入ったところで、ついに雨が降り始めてしまったのだ。


 森田が写真を撮り始めたのは50歳になってからだ。健康のための山登りを趣味としていたが、ただ山に登るだけでは何か物足りない。何か形として残すことは出来ないものか。そう思いたって写真を撮り始めた。
 写真を撮り始めてから10年間、左京区にある八丁平という山の中の湿原を撮り続けた。人から「同じ山ばかり撮っていて飽きないか」と言われるが、山はその季節、その時間、その天候によって様々な表情を見せる。
 夕焼けを撮ろうと思い、重い機材を背負ってやっと目的地に到着した途端、あっという間に雨雲が立ち込めて写真が撮れなかったこともある。日の出を撮影するために深夜に家を出たのに、山の頂上では雨が降っていて肩を落としていると,雨雲の間から後光のような陽が射し込んできて思いもがけなかった1枚が撮れたこともあった。
 山に登れば登るほどに、写真を撮れば撮るほどに、自然の雄大さ、優しさ、厳しさが身に染みてくる。そんな山を撮ることに夢中になっている間に、10年という時があっという間に過ぎた。
 山を10年間撮り続けて定年間近となったある日,森田は行き着けの寿司屋の主人から頼まれ事をした。
「ウチの坊主が高校野球をやってるんや。森田さん、坊主の写真を撮ってくれへんやろか?」
 それまで高校野球に特段の興味があるわけではなかったし、もちろん撮影をしたこともなかったが、職場の野球チームの写真を撮影したことはあった。森田は軽い気持ちで主人の頼みを引き受けた。
 このような経緯で、森田は高校野球、そして京都・大谷高校のエースである中村圭悟と出会うことになったのだ。


 中村は180センチの大柄な体を折り曲げるようにしてボールを投げ込む、いわゆるサイドハンド投手だった。森田はどのような角度で、どのような瞬間にシャッターを切れば、いかに中村を格好良く撮影出来るかを考えた。
 色々苦心しながらシャッターを切ってはみるものの、なかなか納得のいく1枚が撮れなかった。ようやく自分でもそこそこの出来映えだと思う1枚が撮れても、今度は中村の両親がその写真を気に入ってくれない。
 中村はボールをリリースする瞬間に舌を出す癖があった。森田は無意識のうちに出るその表情を面白いと思ったが、母・靖代は「何だかふざけているみたいや」と言って気に入らなかった。
 そう言われて舌を出していない写真を持っていくと、今度は父・浩吉が「どうせなら背番号1番が写っている写真がいいな」とまた別の注文を出してくる。
 森田は意地になって、公式戦、練習試合を問わず、大谷の試合に通い詰めた。そしてついには普段学校で行われている練習にも顔を出すようになった。
 最初のうちは選手たちも「変なおっさんやな」と怪訝そうな表情を浮かべていたが、いつの頃からか森田の存在を気にすることなく練習に打ち込むようになった。それほどまでに森田は大谷高校野球部の中に溶け込んでいったのだ。
 森田は中村1人だけを撮影していたのではない。浩吉から頼まれたのは中村の写真だけだったが、他の部員たちの写真も撮影した。
 出来上がった写真を学校に持っていく。当然、選手たちは喜んでくれるが、その中に自分の写真がなかったとしたら、その選手はどんな気持ちになるだろう。そんな可哀想なことは出来ない。どうせ撮るならみんなの写真を撮ってやりたかった。
 当然、撮影する写真の枚数は増えた。だが撮影枚数が増えていったのは、その事だけが理由ではなかった。何よりも森田自身が球児たちの写真をもっと撮りたいと思うようになったのだ。


 森田は昭和11年に8人兄妹の末っ子として生まれた。3歳の時に父を亡くしてからは、母親が女手ひとつで8人の子供を育ててくれた。
 生活は苦しく,働きながら定時制高校に通った。仕事を終えて学校に行くと、夕暮れに染まるグラウンドで全日制の野球部員たちが練習をしていた。
 がむしゃらにボールを追いかけている野球部員たちが羨ましかった。こいつらには青春のすべてをぶつけられる野球がある。それに比べて俺の青春とは一体何なのだろう。そんなことを考えながら、練習風景を眺めることがよくあった。
 自分にはなかった青春。そのなかった青春を取り戻すかのように、森田は高校球児たちの写真を撮り続けた。
 60歳を過ぎ、定年退職となった老いぼれが、若い高校球児たちと同じグラウンドの上に立つことが出来る。その喜びを感じると共に、何かの縁があって高校野球に携わることになった以上、ある種の責任感を背負わなければならないと森田は思っていた。
 いい加減な気持ちでグラウンドに立っていては球児たちに申し訳が立たない。森田は球児たちの最高の一瞬を撮ってやろうと思った。
 森田が好んで撮る写真に,バットとボールが当たる瞬間の写真がある。だがこの瞬間を撮ることが難しい。偶然にその1枚が撮れることはあるが,百発百中というわけにはいかない。球場に通う間に顔なじみとなった朝日新聞のベテランカメラマンにその極意を聞いても,「それは口では説明できないよ」と笑うだけで教えてくれない。
 森田は何千回,何万回とシャッターを切ることでそのタイミングを自分のモノにしようとした。左目でファインダーを覗きながら右目で投手がボールを投げる瞬間を確認する。そして打者のスイングスピードを計算しながらシャッターを切る。
 だが計ってシャッターを切っても、全くタイミングが合わない時がある。その時、「この子はスイングが速くなったな。よくバットを振ってるんだな」ということに気付く。そんな瞬間が森田には堪らなく嬉しかった。

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