2004年2月4日 桃山高校

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今から1年とちょっと前、乙訓高校グランドで京都府秋季大会一次戦を見た。一次戦ということで、観客は関係者以外はほとんどいない。グランドは静かな雰囲気に包まれていたが、三塁側のベンチだけは例外で、グランドの中で唯一、その場所からだけ大きな声が響いていた。その声はただ大きいだけではなく、関西弁で驚くほどの巻き舌であった。
「どあほ!!何ツーナッシングから簡単に勝負いっとんねん!!荷物まとめて帰れ!!」
怒鳴られたキャッチャーは蒼ざめ、見守る保護者は声を失くした。大声の主は三塁側ベンチに座る八幡高校の中野監督だった。

「大声で叱咤して選手たちの気合を入れるのも、ひとつの有効な手段だと思う。しかし、それはある程度のレベルまでの話であって、やはり選手の内面から自然と気合が湧き出てくるようにならなければ上では通用しない。八幡ナインがそのことに気付くまで、中野監督は大声を出し続けるだろうが、その怒鳴り声が段々と少なくなっていくことを楽しみにしたい。これから八幡の試合を見るときは耳を澄ませていよう」

その日の観戦日記にこのような事を書いた。しかしその試合以降、僕が八幡の試合で耳を澄ませることはなかった。昨年4月の人事異動で中野監督が八幡を去ったからだ。
異動先は府立桃山高校。今日、その桃山の練習を見るために同校のグランドへと足を運んだ。
グランドは他の公立高校と同じで狭く、そしてその狭いグランドを他のクラブと分け合って使わなければならない。
グランドではノックが行われていたが、外野の守備につくことは出来ない。全員が内野守備につき、一、三塁に走者を置いてのノックが繰り返される。
打球の強さによって併殺を狙うのか、ホームへ投げるのか、それとも打者走者だけしかアウトに出来ないのか。瞬時の判断が求められる。
判断ミスがあれば選手間の中で大きな声が飛ぶ。もちろん中野監督からも怒声が飛ぶ。学校が変わっても中野節は変わらないようだ。

しかし、この中野節が簡単に受け入れられたわけではない。八幡高校監督に就任した時、部員はたったの3人しかいなかった。だがその分、ある程度は自分の思い通りにチームを作ることが出来た。少ない部員たちと一緒になって体を動かして低迷していたチームを二次戦に進むまでに育ててきた。
それに対し桃山高校は伝統のあるチームである。前任者は現鳥羽高校の小林監督。選手や保護者は桃山野球、小林野球に慣れ親しんでいる。簡単には受け入れられてもらえなかった。

4月からの日々は、毎日が選手たちとの勝負の日々と言ってもよかった。
「前はこんな練習はしなかった」、「小林先生はそんな事は言わなかった」
そう言われながらも、自分の信じる野球を貫き通した。俺は桃山の野球部を任せられている。だから俺の思う通りにやる。それで結果が出なければきっぱりと野球部を去る。その覚悟は出来ている。
ある選手が野球部を辞めたいと言ってきた。その選手に言った。
「そうか。逃げるんやな。俺に負けて逃げるんやな。俺は絶対にお前らには負けへんし、絶対に逃げへんぞ」
その選手は退部を踏みとどまった。夏が終わるまで選手たちとの勝負は続くだろう。選手たちには絶対に負けたくない。しかし、選手たちに勝って欲しい。そんな矛盾した気持ちを抱きながら選手たちとの勝負に挑む。

5時からはグランドを軟式野球部に明け渡さなければならない。選手たちは狭いグランドの中から僅かなスペースを探し出し、ティーバッティングと素振りを始める。
選手たちがティーバッティングをしている場所は草が生い茂っていた。その草を刈り取り、土を入れて場所を作った。
桃山高校には定時制がある。5時半以降は校舎から出ていかなければならない。少しでも練習時間を稼ぐため、それならばと校舎を通らなくても帰宅できる方法を考えた。グランドのすぐ横に裏門がある。その裏門から帰れるように、京阪電鉄から線路の枕木を安く買い取り、土を盛って着替えられるスペースを作った。練習が終わると選手たちはそのスペースで制服に着替えて裏門から帰っていく。これで6時まで練習が出来るようになった。

中野監督は大阪体育大学を卒業後、フランスへと渡った。ムッシュこと吉田義男さんが指導した後のフランスで、2年間野球を教えた。
野球熱が高くないフランスでは、日本のようにグランドが整備されているわけではない。フランス人と一緒にグランドを作り、野球を教えてきた。今、その経験が活きている。

素振りの形が一風変わっている。選手たちはバットを握ったまま5メートルほどダッシュをして急停止してからバットを振る。
この素振りの狙いは、急停止することで軸足に乗った体重を移動させる事を覚えさせる。体重を軸足の親指から下腿部、大腿部の内側、股関節、そして上半身へと伝える感覚を覚えるためにバットを振り込む。
打撃練習ばかりをしていると批判されたこともある。しかし、打撃練習は守備練習にも通ずると中野監督は言う。
バットを振る際の体重移動と送球の際の体重移動は同じ。バットを振れば守備も上手くなるし、ノックを受ければ打撃もよくなる。野球とはそういうものだと話す。

八幡の試合を見て印象に残ったことがあった。試合の終盤、守備に就いた選手たちが膝をつき、両手でグランドをならしていた。
「その前年にね、苦い思い出があったんです」
83回の京都大会で、八幡は洛陽工に9対5と大きくリードして最終回を迎えた。最後の守りとなるはずだった9回、平凡なセカンドゴロがイレギュラーとなってから流れが変わり、まさかの逆転負けを喫した。
「試合終盤になれば当然、グランドは荒れています。それが分かっていれば、自分たちで整備していれば、あの試合は勝てた。グランド整備は基本という意味はそういうことなんです。グランド整備が出来ないチームは最後の最後で必ずボロが出るんですね」

6時になって練習は終わった。選手たちは枕木で作られたスペースで着替える。この枕木がもたらしてくれた練習時間は1日にわずか30分である。しかし、その30分が1年間積み重ねれば相当な時間となる。
いつかはまた、海外に出て野球を教えたいと中野監督は言う。しかし、今は目の前にいる選手たちと勝負をしなければならない。
1分でも長くこの選手たちと勝負するために、また色々なアイデアを考えたいと笑った。
 


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